永懐斯人

頃は岡山孤児院創立三十年を機とし
地を同院の発祥たる岡山県邑久郡大宮村大字上阿知大師堂の側に相し碑を建て之を不朽に伝えんと欲し文を予に嘱す
予聞く明治十五年石井十次君日向を出て岡山医学校に入り留まること六年在学中脳を病み二十年四月実地医術を研究せんがために岡山を去りて上阿知太田氏の診察所に寓す其の寓に隣接して大師堂あり
君毎朝起きて堂外に徜徉し可憐なる巡礼者を見るを唯一の楽しみとなす 前原つね三人を見て其の惨状を聴き深くこれを憐れみ直ちに長男定一を養いこれを救済せり
実にこれを君が身を孤児救済に献したるの始めと為す
君や天成の好男子也
君の慈眼愛腸は遂に君をして岡山孤児院を産生するを禁ずる能わざらしめ而して君の堅志恒行は遂に之を以って其の一生を始終せしめたり
君の如くにして生き君の如くにして勤め君の如くにして逝く
人生の生活の意義始めて全き庶幾にし予君と相識る一日にあらず碑文の嘱誼辞すベからざる者あり
因って其の梗概を記し後人をして岡山孤児院の起原を知らしめ併せて君の風を聞きて興つ所あらしむ

永懐斯人、この言葉は「この人を永く心に思い抱く」という意味です
題額したのは十次との関わりが深かった徳富蘇峰です。蘇峰はこの碑に記した文で十次の社会的な功績だけでなく、その生き方、そしてその最期まで称えています
また揮毫した入澤昕江は著名な書家であると同時に現在の山陽学園の教頭を務めました。