川名はつ子(早稲田里親研究会代表、子どもの居場所ピノッキオ代表理事)
2003年に早稲田大学に健康福祉科学科の教員として赴任し、2019年3月末に70歳で定年退職するまでの16年間、「子ども家庭福祉論」の講義を担当しました。
大教室で行なった私の「子ども家庭福祉論」の講義は、親しみやすい講義となるようにと、しばしば教科書から離れて脱線していましたが、そのなかでも「二人の石井さん」を扱う時間は、私自身にとっても楽しみな授業でした。知的障害児の養育・教育の先駆者である石井亮一と石井十次の功績の対比よりも、亮一の妻 石井筆子の評伝に多くの時間を割きました。
外交官を務めていた筆子の前夫が早逝し、知的障害のある長女を含む遺児の療育相談を通じて亮一と知り合い、親の反対を押し切って亮一と再婚した筆子は、共に滝乃川学園を運営することになりました。
しかし在校生の火遊びによって学園は焼け落ち死者6人も出た事件がありました。この火災から復興への半ば石井夫妻が力尽きて閉鎖する寸前に支援の手が差し伸べられ、郊外の国立市に移転して事業を再開することになりました。
ところが間もなく第2次世界大戦が勃発すると兵力にならない障害児は見捨てられ、最低限の生活をさせるのにも大変な苦労をしました。
しかしそんな困窮した戦時中にも、かつて鹿鳴館の花とうたわれ、社交界で活躍した筆子がローブデコルテなどの豪華な衣装を学園の仮装行列のために惜しげもなく放出し、明るい気持ちにさせていたなどの愉快な逸話を披露しました。
エピソードだけでなく、そのころ封切られた「筆子・その愛-天使のピアノ」の映画のポスター・写真集を映し出して紹介しました。
一方、石井十次については、濃尾地震の際に無制限収用主義で岡山孤児院に1,200名もの孤児を収容した功績を紹介しました。山田火砂子監督、松平健主演の伝記映画「石井のお父さんありがとう」を観て感銘を受け、学生に勧めたりもしました。最後には「石井亮一と同じ九州出身でクリスチャンだから混同しないでね」と共通点を踏まえた試験対策にも言及し授業絵を締めました。
こんな私ですが、編集委員を務めている日本ファミリーホーム協議会の機関誌『社会的養護とファミリーホームvol.6』に「児童福祉の父・石井十次—生誕150周年にあたって」の特別企画が組まれていたことを知り、あわてて石井十次の事跡を学び直しているところです。こうしてまた学び直す機会を与えていただいたことに感謝しつつ、ひと先ず筆をおきます。