「偉人」を「支える」という生き方

「偉人」を「支える」という生き方
               むらき数子(総合女性史学会会員、「古々路の会」会員)
2019年8月23日に、上阿知をお訪ねしたご縁で書かせていただきます。たまたま「地蔵盆」の日でしたので、お地蔵様にお参りさせていただきました。すぐそばの大宮小学校は「二十四の瞳なんですよ」と、言われたのが印象に残りましたが、今年2022年春からは義務教育学校「山南学園」になったと知って、コロナ禍の3年の時を感じています。
 上阿知の東森二三子さんをお訪ねしたのは、助産師として生きてこられたお話をお聞きしたかったからです。いろいろな働き方を経て開業し「ミントハウス」を拠点に地域での活動も大切にしてこられた様子をうかがったのですが、2019年当時発足していた「石井十次に学ぶ会」に話が及ぶには時間が足りませんでした。私も、ミントハウスが上阿知の大師堂に近いことに気づいていたら、案内していただいたのに、と今ごろくやんでいます。
 今回、その時のご縁からお電話いただいたのを機に、名前だけ知っていた「石井十次」と「岡山孤児院」に関して改めて学ばせていただきました。
 扶養者のいない子どもの生存が篤志家に頼るしかなかった時代環境にあって、石井十次の強烈な個性にして初めて孤児院は成り立ったのでしょう。その「偉人」を陰で支えた人々それぞれはどんな人生を生きたのだろうかと思います。
 私は30年近く、助産師(産婆・助産婦)を訪ね歩いてきました。助産師はお産の介助だけでなく、女性の生涯の健康と人生を支える「大事な仕事」をしています。「困ってる人をほおっておけない」気性と行動力を持つ女性ばかりです。私自身は体に触れるのが苦手、「困ってる人」を見ると立ちすくんで動けない性分です。私にできることは、助産師になることではなく、助産師について知ったことを伝えることだと思って報告を書いてきました。上阿知を訪ねた時のお話の一部は以下に紹介させていただきました。
     「「ヘーシよけ」と「自宅出産」―岡山県瀬戸内市邑久町裳掛の産育」」
     『昔風と当世風―岡山県瀬戸内市邑久町裳掛地区合同調査特集―』第105号、
        古々路の会、2020年12月15日、p。67-71
 「十次通信」第9号に、「石井記念友愛園を卒業して岡山で学ぶ大学生の支援」と題の寄稿の中で、「コロナ禍のため、会うこともはばかられ十分な関係が築けないまま 1 年 が経過しました。」そして、コロナ2年目の学生に「新生活に必要な物品購入や各種の届出のため市役所などに同伴して、岡山で安心して生活ができる基盤づくりの支援だけはできました。」と、書いていらっしゃいます。コロナ禍で「ありのままの家庭生活を体験」させてあげられない残念なお気持ちが想像できます。
 私もかつて、東京YWCA「留学生の母親」運動に関わり、日本の大学に留学してきたアジアの学生数人とつきあったことがあります。僅かな経験ですが、衣食住の習慣も異なり、金銭感覚や贈答慣行も異なる人と関わることは難しいです。産み育てた子どもでも、分かり合えるとは限らないのだ、と思えば、「生活の基盤づくり」を支援できただけでもすばらしいと思います。
 石井記念友愛社児嶋草次郎理事長の「遠くの親戚のような立ち位置で見守ってもらえないか」との言葉が奥深く感じられます。