私の市民活動
佐藤幸子
人前で話をしたり、中心的に何かを担ったり、なんて嫌だった子ども時代を過ごし、大人になってもそれは同じでした。その私が、様々な市民活動を行うきっかけは、我が子のためでした。自分の子どもが平和に幸せに暮らせる世の中であって欲しい、また、自分の幸せだけを願う子ではなく、友達
の幸せも願う子どもに育ってほしいという気持ちで、子どもに係る地域活動を行うようになりました。私の活動は、ボランティアではなく自分の為に行っていると思っていたので、他の人から「ボランティアご苦労様」といわれると違和感を覚えました。人の為ではなく自分の為なので、ボランティアではないという考えです。今では市民活動というぴったりの言葉がありますね。まさにその市民活動の中で、我が子が大きくなっても他の子ども達と関わる事で、子どもの素晴らしさを改めて知ることがたくさんあり、そのことが自分を幸せな気持ちにしてくれました。
こんなエピソードがあります。行政のまちづくり関係の機関と一緒に活動をしていた時期がありました。4年間くらい活動を行っていましたが、主に子どもたちと共にと、地域の商店街や学校を巻き込んでの活動でした。商店街で子どものお店を開く企画で、駄菓子屋さんを開店したり、公園で縁日を行ったり、ということで、子どもと一緒に計画し、商店街の方に連れられて問屋さんへ仕入れにもいきました。小学高学年の男の子たちはやんちゃで喧嘩もあり、つい小言をたくさん言ってしまいがちになり、電車移動もありの行程は疲れるものでした。先が思いやられましたが、当日を迎え、予想通り、男の子たちはお店でもはしゃいでいて、やれやれと思っていました。その内、公園で縁日遊びをしに行ってもいいよ、と声をかけたら、みんな一斉にやった!と飛び出ていきましたが、一番やんちゃな男の子が、行きかけたかと思うと急に戻ってきました。「行かないの?」と聞くと「だって店番がいなくなっちゃうじゃん」と。びっくり。責任感をしっかりともっていて、それまでの「どうせ」が思っている以上にしっかりと考えていると改めて知ることとなりました。子どもと関わる事でたくさんの学びを経験したことは、きっと自分自身も変えてきたと思っています。わが子とのかかわりも他の子とのかかわりもです。
私の市民活動は、子どもに関することから始まり、やがて地域の女性たちの為の活動へ、そして文化を守る活動へと広がっていきました。その中で、たくさんの人と関わり、その関連で、50歳になってからNGOジョイセフに正職員として勤めることになり、今年定年を迎えることになりました。どの活動でも、言えることは、「人」とのかかわり、繋がりなのだと思います。人とのかかわりで勤務をはじめたジョイセフの活動のキーワードはまさに「人」だったのも縁を感じます。
それぞれの人は全て、別々で、それぞれの魅力をもっていて、出会った人の数分、あたらしい何かを得て、そのお陰で自分も成長し、新たな気づきと絆を持つことが出来ているのだと思います。感謝です!